2011年12月02日

北方領土








歯舞(ハボマイ)… 色丹(シコタン)… 国後(クナシリ)… 択捉(エトロフ)…

これは日本の北端に位置する四つの島の名前です。


私が小学生の頃はCMでよく流れていたので、同年代なら北方四島は?と聞かれても全て答えられなくてもひとつふたつは答えられるでしょう。


最近はCMも流れていないし…

震災で日本が大変なときにわざわざロシアの大統領が北方領土にやって来たり…
竹島や尖閣諸島が取りざたされるずっと以前よりある
「北方領土」

「北方領土問題」

いったい何が問題なのか、何に問題があり何をどうすればいいのか…


こんな疑問から昨日「北方領土問題」を正しく理解し考える勉強会を開きました。

自分の復習を兼ねてブログ・日記を通じ少しだけ紹介しておきます。


「北方領土」

歯舞、色丹、国後、択捉の四島からなる北方領土が第二次世界対戦終了直後、ソ連に占領され、ロシアとなった現在も不法占拠下に置かれています。


北方領土…日本が北方の島々のことを知ったのは今から390年以上も昔のことと言われています。


ロシア人が始めて千島を探検した約100年も前から日本は北方の島々とかかわりをもっていました。


1700年代の後半になると幕府は北方の島々の経営に本格的に取り組むようになりました。

そして1855年に平和的な話し合いの結果、日本とロシアの間に初めて国境が決められました。


国際法による国境の変化は…


1855年 日魯(ロ)通好条約

この条約で北方領土北端の択捉島と千島列島南端のウルップ島の間に国境が決められました。
樺太(サハリン)は日本とロシア両国民の混住地と決められました。


1875年 樺太千島交換条約
明治8年、日本は千島列島(18の島)を譲り受けるかわりに樺太全島を放棄しました。
この条約には北方四島は含まれていません。


1905年 ポーツマス条約

明治38年日露戦争の結果、北緯50度以南の南樺太が日本の領土になりました。


1951年 サンフランシスコ平和条約

昭和26年日本は南樺太と千島列島の権利・権限及び請求権を放棄しました。
放棄した千島列島には択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土は含まれていません。


そして、どうして今のようになってしまったか…


第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日、ソ連は当時まで有効だった「日ソ中立条約」(1941年締結)を一方的に破棄し対日参戦しました。

ソ連軍は、終戦後の8月18日より千島列島へ攻撃を開始しウルップ島まで侵攻したがそこから一旦北へ引き返しました。
しかし、択捉島以南にアメリカ軍が進駐していないことを知ったソ連軍は8月28日から9月5日の間に北方四島を占領したとされています。

勉強会でみた資料映像で当時を語るインタビューがありました。

突然浜からソ連の軍隊が上陸し土足で家に上がり込み銃を突きつけられ収容所へ連れていかれた。

恐怖に震えるなか、その収容所でたくさんの日本人が亡くなったと…

北方四島は終戦後の武力による占領なんです。

終戦後の…。


北方四島ではごくごく普通に日本人が暮らしていました。

その数…17,291人(終戦時)

島民の約半数はソ連軍の厳しい監視をくぐって島々を脱出しました。
それ以外の島民は22年〜23年にかけて劣悪な環境の樺太経由の引き揚げを余儀なくされました。

一人残らず日本人は島から追い出されました。


今現在、択捉島、国後島、色丹島には約16,346人のロシア人が住み、歯舞群島には国境警備隊が駐留しています。

ロシア政府も社会経済開発に本格的に取り組み様々なインフラ整備が進行中です。

水産加工業も盛んで、財政は比較的安定しています。


その北方領土返還要求運動は終戦まもない1945年(昭和20年)12月、当時の根室町長が連合国最高司令官マッカーサー元師に対して北方領土の返還を訴える陳述書を提出したのが始まりです。

そして現在、2月7日を「北方領土の日」と制定し返還要求運動は引き継がれています。

北方領土の日となった2月7日は1855年日露の国境を平和に定めた「日魯通好条約」が伊豆の下田で署名された日です。



北方領土問題…

はたしてこの島の返還をロシアに求める事だけが平和なのか?


ある日突然故郷を奪われた日本人が居たという事実。

これが戦争。


日本も戦争で様々な国を侵略した事実。


敗戦という言葉の裏側は戦勝国という現実。



ぼくが生まれたこの島の空をぼくはどれくらい知ってるのか…

教科書に書いてある事だけじゃわからない…

大切なものがきっとそこにあるはずさ

それが島人の宝


ふざけたわけじゃないのですが、この唄がなんかすーっと頭に流れた勉強会でした。


Posted by コギー at 13:01 │Comments( 2 )
この記事へのコメント
国際法上なんの問題もない事が教科書では載っていなかったり、竹島問題もしかり、政治家はなにをしているの?
政治屋と言われても仕方のない問題ばかり起こし、売国行為とも思われても仕方のない政治活動。
国際法上おかしいはずなのに、武力行使で占拠されている土地を奪還する為には、悲しいかな憲法を変えないと奪還できないかもしれない。

戦後の教育または経済情勢が、日本人である誇りや尊厳まで奪い去ってしまったのか?
世界経済戦争の千秋楽なのか?
幸せとはなんなのか?
言いたい事がある、変えて欲しい事がある、そんな日本人は大勢いるはず。
微妙にしか変わらない制度、国民の意識、日本に憂いを危惧するサイヤ人達が立ち上がるのはいつだろう・・・

いやいや、人任せのように思われるかもしれないが、僕には知力や地位やカリスマ、チカラがない。だから出来る人達が立ち上がってくれないと何も変わらない。
このままでは日本が沈んでいくのを眺めてるだけじゃないかしら。

力を持たない一般人は何もできない。

BEGINの唄は素敵ですが、今回の勉強でコギーは何を感じたのでしょう。
本音はどうなんでしょう・・・。
Posted by niku at 2011年12月02日 21:53
>nikuさん

コメントありがとうございます(^ー^)

勉強会でぼくの感じたこと…そして本音…

歴史を伝える事の大切さを感じました。
こうやってnikuさんがコメントをくれたように、日本人として当然の心の揺すぶり心の響きが共鳴し10年後、50年後、100年後に大きな声となるのではないでしょうか。


あと、このブログを書く際「固有の領土」という言葉を使いませんでした。
それは固有を主張するのなら「返還」ではなく「奪還」が当然だと感じたからです。

…が「奪還」はあらたな争いと憎しみを生みます。

「侵略」「占領」
「返還」「奪還」

「我が国固有の領土の返還」

もう一歩…

北方領土問題に限らず、我が祖国の主権に対して対外的にも対内的にもあらたなスローガンを未来に託す時期に生まれたのが我々ではないでしょうか。
Posted by コギー at 2011年12月03日 10:27
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。